
2007*02/13 中西 秀夫
以下の文章は、去る2001/10/19、埼玉県女性職業能力開発センターで行われた「中高年のための再就職支援・能力開発プログラム」というキャリアサポートワーク最終日の担当講師として、私が受講生のみなさまにセルフキャリアカウンセリング風にお話した自己紹介を、再編集したものです。
私は、不完全で欠点の多い自分をありのままに述べて、あるがままに認めていただこうとすることは、不遜極まりないことと承知しています。ここで述べるのは、ありのままに認めてもらおうと他者に依存するものではなく、人間として弱い部分や情けない部分をもっていても表に出さずにいられるようになり、やがて時間と共に昇華し、少しでも自分の良さを引き出し、自己信頼感をもてるようになれるのだということを、私のつたない体験をとおして、お伝えしたくて記しました。
いよいよ、今日がワークショップ最終日となりました。すでに私は、15日間この教室の後ろで皆様とじかにお話しもさせていただいておりますので、形どおりの自己紹介をするより、セルフキャリアカウンセリング風に自己開示することで、「ライフキャリアを統合して生きる」とはどういうことか? というテーマまで踏み込んで、お話ししていきたいと思います。
団塊の世代。
性格は明るくもなければ暗くもないと思っています。
謙遜でなく、凡人中の凡人です。
それから、よく、人からは穏やかとか謙虚ですね!と言われるのですが、正直に言うと「謙虚」にせざるを得ない、と言うのがほんとのところ。
外面とか表面というのは、内面の素直な現れと言われることもあります。また逆に、内面の反動であり、内面の逆の現れと、言うこともできます。
私の場合はどうだろうか。
人は、不安になると、自分の心の平和を求めて自分を収めるための作業を、心の中でしないではいられなくなります。それが並大抵のエネルギーではない。時間も長い。だから、力を使い果たし、行動はストップしてしまう。
私にはそういう実績がありまして、不安でも不安でなくても、引っ込み思案になり、自分の内面の世界に住みつく習性があったのです。すぐ自分の世界に入ってしまう(笑)。
その内面世界というのは、事実や現実を自分の価値観に都合よく合わせて、収めたり、組み替える作業の場です。
事実を組み替えたりして納得し、その世界で、私は権威者にさえなっている。謙虚さなどは表面ばかりで。
これに無自覚なときは、本当に怖いですね、まさに妄想ですから(笑)。
私の場合、自分で作った虚構の内なる世界にいるときは、権威者役を保てるのですが、現実の世界に戻れば、内なる世界で演じていた主役ではいられません。
現実の力量が伴わないときには、意見が言えなかったり緊張して人前で話したりするのが苦手になってしまうからです。
だからといって、またまた、自分の世界に引きこもってしまうわけにも行きません。 人生ある程度長く生きてきましたしね。
従って結果として、控えめで謙虚な感じになっている。それが、今皆さんの前に立っている、こんな感じの、私です(笑)。
本来、実力ある人はみんな謙虚な持ち味がありますが、私のとは少し違うようです。
しかし今日は、人前で話したりすることが苦手とはいえ、役割を全うするために、一所懸命お話ししますので、よろしくおねがいします。
これは楽しい。実績、7年前から造っていますが、私の名器ストラディバリウスはいまだに完成しない。魂柱・象嵌細工などの技術が難しい。現実は甘くはないと思うけど、できればいつか必ず!と、職人さんの世界にあこがれをもっています。
長男は23歳。私のヴァイオリンに対する思い入れ(=私が子供のころヴァイオリンが好きでレッスンをうけていたがうまくなれなかったという、私自身の未完の行為が過度に増幅したもの)が長男の人生を占領してしまった。
長男は、幼少時、ヴァイオリンを歌心をもってあまりに上手に奏でるものだから、いつしか英才教育を受けるようになっていた。
レッスンは非常に厳しいものではあったが順調のように見えた。しかし、高校生になると学校の欠席が増えて留年、その後出席日数不足で退学となった。おまけに19歳まで3年間は行方不明。私は仕事そっちのけで行方を探して歩いた。彼が家にもどるのに3年。いくらかコミュニケーションできるレベルになるのに5年かかりました。
彼は家に戻ると、しばらくは放心状態だったが夜間の都立九段高校に再チャレンジし4年がかりで働きながら卒業。いつも好きな女性がそばにいた。ところが失恋。そして今年(2001年)2月、もう一度人生やり直すと言って、あてもなく大阪へ旅に出ていったのです。
親ばかで言わせてもらえば、長男は修行僧のようなところがあって、苦労という形のなかから自分のよりどころを探そうとしているかのように見える。その上、長男自身は自覚してないが、強く父親という存在(私のこと)に認めてもらいたいと思っている。そうであるが故に、逆に私に傲慢な態度で臨みいつも対立。私は、恥ずかしながら拳を2度も骨折しました。
このようなわけで、私の気持ちは熱いにもかかわらず家族との関係にはいつも乾きを感じていました。乾きを潤すため、私は、カウンセリングを夢中で学ぶようになりました。その学びの場では、先生方や学友にたくさんの時間とお心配りをいただいて、私の話を聴いてもらうことができました。いま私の家族がばらばらにならないでこられたのは、長男のおかげであり、そして話を聴いてくださったカウンセリングの先生方や学友のみなさまのおかげだと思っています。
長女は、医学生4年 専門コースの選択で悩んでいる。次女は、バスケット推薦で高校入学、その後バスケが伸び悩み後方支援に甘んじて、選手としてのアイデンティティが揺れている。
妻は、学生時代はゴルフ部のキャプテン、関東女子学生8位の実績がある。私と結婚して苦労もさせてしまいましたが、おおむね順調にきていた。しかし突然、難病指定の膠原病と診断された。彼女の心に存在するあたりどころのない理不尽さや憂いを、私がどこまで共有してあげられたのか、不充分なままなのだと思う。でも、年月が経つにつれ、気功による治療などで症状は静まり、趣味でゴルフもするようになった。現在は、私のオフィスで私の秘書をやってくれています。
家庭は明るい話ばかりじゃないですが、暗くはない。といったところでしょうか。
当、埼玉県女性職業能力開発センターの、小島貴子先生とは1年前キャリアカウンセリングの勉強会で偶然隣同士の席になり、知り合いました。そんな不思議なご縁で、今ここに立っています。
私は、社会保険労務士の仕事をしています。開業して10年(2007年現在開業16年)になり現在にいたっています。顧問契約会社の社長の相談相手もします。最近は、社員と直接面談しお話を聴かせていただくことも多く、やりがいを感じています。そう、カウンセリングも仕事の一つです。
社会保険労務士を開業する前の、24歳から42歳の18年間は、祖父が創業した木材卸売業の三代目。父が病気で長期入院し32歳で3代目社長に就任。順調だったけど、社長辞任を決心した42歳までの5年間は、本業を縮小せざるを得ないため、古くから働いてくれた60〜70歳代の番頭さんたちに退職勧奨。事業縮小任務終了後、私も辞任しました。
ここから、私の「世襲的キャリアからスローキャリアに至るまでの空白の体験」をお話しすることになります。
当時、私は仕事が好きで働き者でした。(いまでもそうです!。)素材販売としての木材販売を一所懸命やったけど、業態改善がすすまなかった。業績が悪ければ悪いほど、私に対する先輩の番頭さんや社員の期待は大きくなるばかり。しかし、期待に対し事業縮小過程に入ったため、古くからいた60歳台の番頭さんたちに辞めていただく立場にならざるをえなかった。後継ぎとして期待され経営を任されたのに親の顔も番頭さんたちの顔もまともに見られないぐらいの気分だった。こんなことじゃいけないと思うのですが自分の気持ちをコントロールできず、時間だけが過ぎて、何もしなくなっていました。
いつの日か、私は会社には出て行かなくなっていました。それが約3年間続いてしまった。明日はでよう、来月からはでよう、春になったら出よう、と思うのですがこれがなかなかできない。
そこで、立ち直るために、この一連の出来事は事故だったのだと思い込むようにして、過去はなかったことにして、過去を思い出さないようにして、再スタートするため、無理やり時間に区切りをつけるため、社長を退任して、他のことは一切しないで、3ヶ月間資格試験勉強に没頭した。
そして運良く合格し、社会保険労務士開業としたのです。強引に看板だけは上げたという感じですね。こうして、ようやく、自分の心に一時的な平和がもたらされました。それが1990年2月です。
しかし、それもつかの間。区切りはつきましたが、一方で、その考えは、前職体験を「あれは事故だったのだ」として事実と時間を打ち消すことで現在の平和を得ようとするもの。いわば疑似前向き志向。過去を事故として区切ることによって小さな平和はつかみますが、一方で前職で培った職務能力の構成が将来への繋がりを失います。それを自覚できていなかった。偽りの平和への欲が大きすぎ、前職の経験を社会保険労務士業務に繋げる発想を失っていたのです。従って開業後3年間ぐらい、顧問先企業に対する私の指導内容は、教科書的で断片的で深みのないものでした。よく頑張ってはいたのですがいつも自分のなかにいきずまり感がありました。表面的には区切りをつけたはずの否定的な過去を、逆に、精神的には以前より強くひきずり続けて暮らすことになっていたのです。自己無効力感さえ持つようになりました。
このワークショップの講義で、私は「失業期間という隙間はあいてないが、キャリアの繋がりのない転職」という話をしました。これは、前職とまったく関連がない転職をするため、キャリアが膨らんでいかないですね。まさに、私の開業後3年間は、これでした。
見たくない自分の一面を消すために、キャリア整理シートの、ある暗い時代のページを削除していたのです。
再スタートしたはずなのに常にいきずまり感があったのは、開業前の3年を削除したら開業後の3年間も空白になってしまって、繋がらないでいたからなのです。
ようやく開業から10年たった今、この悩ましい時期を「過去を思い出さないように、区切る時期、つまり断ち切る時期」から「将来に繋げるためにあった時期」という意味に転換できました。空白期間は、人生が私にプレゼントしてくれた最大の贈り物だったのです。
なぜなら私の最重要課題なのですから、決してなかったことにできるわけがないので
す。今ここで、こうしているとおり、空白期間を、世襲的キャリアからスローキャリアへの移行のための「準備期間」であったことを自己開示もできるようになりました。
移行できたのは、自覚していなかったけど、実は貫かれているまとまりが私にあるのだという統合感が自分に感じられたからなのです。人生の意味などわからないなりに、内にこもらないで行動だけは続けよう。人生というものが私に何を要請しているのか、どんな態度を要請しているのか、その要請に応えて行動だけはしていこうと、行動し続けた時、この統合感が私の芯となり、自己信頼感の原点になってきたものなのです。
普段、私たちは毎日忙しく暮らしています。「忙しい」とは、語源は「心が亡い」「心を失う」という意味でもあります。
私の師である、学習院大学臨床心理学の川嵜克哲先生に教えていただいたことですが、先生によれば、私たちは「これをする」という選択をして「ああする」可能性を切り捨てて生きています。「あれもこれも」とはいかない。でもそれは、忙しいという理由だけでなくまた心が亡いというそれだけでもない。私たちが現実に生きるということは、内なる矛盾を排除したうえで一つのまとまりを持った自分を形作らなければならない、ある種悲しいが必然的な構造によるところなのです。その構造のなかに存在することがまさに、現実に生きかつ世俗に生きることなのです。
転機とは、内なる矛盾として捨ててきた可能性を、もう一度拾い直し、自分の中でまとめ直すことが必要になる時期のことです。たとえば、人生の午前から午後に変わったときなどがその最たる例です。
受講生の皆さんにとって今回のキャリアサポートワーク3週間は、人生の転機です。いわば、人生の午前から人生の午後に変わっているのに、午前を歩くリズムで午後を歩いては、忙しい。忙しいとは「心が亡い」と書きます。この3週間は、忙しく見る角度ではなく、つまり、心有る角度からじっくり自分を見て、切り捨ててきた可能性をもう一度自分のまとまりの中に収めるという、時期であり、過去の履歴に割り切りをつけて捉えていたご自分を、一人のまとまった人間として統合しなおしていく過程です。今、内面にとても大きなエネルギーを整えなおし、蓄えていかれる様子、それが転機として再就職やその他へのアクションとなっていらっしゃるのです。
このキャリアサポートワーク3週間をご一緒させていただいて、実は、講師の私のほうが皆さんから影響を受け触発され、まとまりとしての私自身を再確認していた3週間でした。ですから、このような話をさせて頂いている次第です。
そこで、先ほどお話した、開業前後の各3年間に見失い、ようやく取り戻した自己信頼感の原点となっている、私のキャリアの統合感を表すロゴとそのキーワードを、次にご紹介させていただきます。
CONSULTING繋がり:<人>はみな兄弟。時空を共有し、出会いは必然です。
そして、一見無関係に見える物事の間にも実は関係があります。
柔 軟:水のごとく、器に従って形を変えても本質は変えません。
舞台が変わっても、理想・現実の統合を同義反復し続けていきます。
循 環:してもらった事は、当人には返せない。できるのは、目の前の人に与えるこ
とのみ。いずれ、目の前の<人>もおなじように他者に働きかけていきます。
世界は、相互に生かされつつ繰り返します。
「自分らしく」生きるとは、この統合感の境地でなされるものと思います。
以上、セルフキャリアカウンセリング風に自己紹介をさせていただきました。
ありがとうございました。